「また今度」は当たり前じゃない。

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兄が緊急入院が決まって、大学生からの6年間一緒に暮らしたおばあのことを思い出した。

6年前、おばあは肺癌から股関節に骨転移していたため検査や治療の日が多くなっていた。

ある日今日は検査の日と言って家を出たおばあは、そのまま緊急入院となり

急に家にひとりぼっちになってしまった。

コロナ禍で面会もほとんどできず、1日1時間、家族の中で一1人のみ洗濯物を取り替えるために会えるだけ。

もっと話したかった。

そんな後悔を、今でも時々思い出す。

そして今回、兄の癌がわかって、急遽8月に会いに行こうと考えた時にふと思った。

「もしかしたらこれが最後になるかもしれない。」

とふと思った時におばあとの最後を思い出して涙が止まらなくなった。

でも、よく考えたら病気だからじゃない。

人間誰しも交通事故、急な災害が降りかかってくる可能性は全員にある。

本当は誰との「またね」も、次が約束されているわけじゃない。

それなのに、病気になると急にそのことを現実として感じる。

普段は「また今度」「そのうちね」と思って過ごしているけど、その”今度”は当たり前じゃない。

だからといって、毎日「今日が最後かもしれない」と思って生きたいわけじゃない。

でも、この気づきを忘れずにいたい。

会いたい人には会いに行く。

伝えたいことは伝える。

一緒にいられる時間を大切にする。

そんな選択を積み重ねていきたい。

「また今度」は、当たり前じゃない。

だからこそ、今日という時間を大切に生きていきたい。

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