心の防御が、少しずつほどけてきた旅
前回の記事で、
「私はもう、戦わなくていい」
と思えるようになったことを書いた。
父との長い離婚協議が終わって、
ようやく「もう父に振り回されなくていいんだ」と思えるようになったこと。
そしてこれからは、戦うための強さだけではなく、
安心して力を抜くための強さも持っていきたい。
そんなことを書いた。
あの記事を書いたあと、
自分の中で少しずつ変化しているものを、さらに感じる出来事があった。
それが、今回の茨城への旅だった。
今回の旅は、私にとって少し特別だった
今回の一番の目的は、緊急入院している兄に会いに行くこと。
それから、義姉や4歳と1歳の姪っ子たちに会ったり、
友達や、生まれたばかりの赤ちゃんに会ったり、
友達の実家で飼っているゴールデンレトリバーにも会ってきた。
そして今回は、一人旅をしながらYouTube用のVlog撮影にも挑戦した。
いろんな人に会って、
いろんな時間を過ごして、
いろんなことを経験した旅だった。
でも、帰る頃に一番強く残っていたのは、
景色でも出来事でもなかった。
「私の心、少し変わったかもしれない」
という感覚だった。
私は「子どもが苦手」なんだと思っていた
以前の私は、子どものわがままな声や、
周りを気にせず自由に動く姿が苦手だった。
もちろん、子どもを見て
「かわいいな」と思うこともある。
でも、実際に子どもと長い時間一緒にいることには
どこか苦手意識があった。
だから、「私はまだ自分の理想の生活ができていないし、子どもはまだいいかな」
そんなふうに、自分の中でブレーキをかけていた。
でも今回、姪っ子たちと過ごしていて気づいた。
私は、子どもが苦手だったわけじゃなかった。
子どもが自分の思うままに行動することや、
周りを考えずに人を振り回しているように見える姿に、無意識に父を重ねていたんだと思う。
父も、自分の欲や感情を優先して、家族を振り回す人だった。
だから私は、
「自分勝手に振る舞う人」
「周りのことを考えず、人を振り回す人」
に対して、すごく敏感になっていた。
それは嫌いというより、
「もう二度と、あの頃のように振り回されたくない」
という、自分を守る反応だったのかもしれない。
そう考えると、今までの自分の反応が少しだけ理解できた。
「羨ましい」の正体にも気づいた
今回、友達と過ごした時間もすごく印象に残っている。
その友達は本当に優しくて、私は大好きな友達。
でも以前は、家族のことで大きく振り回された経験がなく、安心して育ってきたように見える友達を見て、
「いいな」と思ってしまうことが多々あった。
でもそれが、自分でも少し嫌だった。
羨ましいと思ったら、「私はそれを持っていない」と認めることになる気がしたから。
だから、そんな気持ちを認めたくなくて、
知らないうちに少し距離を作っていたのかもしれない。
でも今回、一緒に過ごしていて不思議なくらい、その気持ちが出てこなかった。
赤ちゃんを抱っこしている友達を見ても、
姪っ子たちと遊んでいても、
友達と何気なく笑っていても、
ただ、「会えてよかったな」と思えた。
そこで、また一つ気づいた。
私は、その人たちが持っているものが嫌だったんじゃない。
本当はずっと、「私も、そういう安心が欲しかった」だけだったんだと思う。
家族に安心していたかった。
何も心配せずに笑いたかった。
誰かに守ってもらいたかった。
甘えても大丈夫だと思いたかった。
家族っていいな、と心から思いたかった。
だから、それを持っているように見える人を見ると、「羨ましい」という気持ちが刺激されていた。
でも今は少しずつ、「羨ましいと思ってもいい」と思えるようになった。
そして、「私もそれを持っていい」と思えるようになってきた。
「私も、安心していいんだ」
今回の旅で、姪っ子たちと遊んだり、
赤ちゃんを抱っこしたり、
友達と笑ったりしている時間が、ものすごく幸せだった。
昔の私だったら、どこかで自分にブレーキをかけていたと思う。
「私はまだこうなれていない」「もっと頑張らなきゃ」「私にはまだ足りない」
そんなふうに、今ある幸せをそのまま受け取れなかった。
でも今回は違った。
ただ、「楽しい」「かわいい」「嬉しい」「会えてよかった」と思えた。
それが、自分でもすごく嬉しかった。
もしかしたら私は今、少しずつ「安心してもいい」ということを、頭ではなく心で覚え始めているのかもしれない。
一人旅でも、少し変わっていた
今回の旅では、1人でVlogの撮影にも挑戦した。
私は、人の目をすごく気にする。
1人でいると、周りの人の会話が気になったり、
「どう見られているんだろう」と考えてしまったりする。
以前だったら、「恥ずかしいからやめよう」で終わっていた。
でも今回は、周りの会話が気になったらイヤホンをつけて、
自分の好きな音楽を聴きながら撮影してみたら
周りを気にせず自分のやりたい楽しいことに集中できた。
ただまだ、街中でカメラに向かって堂々と話す勇気はない(笑)
そこは、これから少しずつ。
でも、「できないからやらない」ではなく、 「できる範囲でやってみよう」と挑戦できた。
これも、私の中ではかなり大きな変化だった。
人の目を気にしながら生きてきた私が、
少しずつ「自分はどうしたい?」を優先できるようになっている。
私は、急に強くなったわけじゃない
今回の旅を通して感じたのは、「私は変わった!」というより
「ずっと張っていた心の防御が、少しずつゆるんできた」という感覚だった。
これまでの私は、自分を守るためにいろんなものをすごく警戒していた。
人に振り回されないように。
傷つかないように。
自分でなんとかできるように。
誰かに頼らなくても生きられるように。
でも今は、少しずつ状況が変わってきた。
父との戦いは終わった。
私はもう小学生ではない。
自分の人生を、自分で選ぶことができる。
安心できる家庭もある。
大切にしたい人もいる。
自分で作っていきたい人生もある。
だから、もうずっと身構えていなくてもいい。
「幸せになる準備」は、もうできているのかもしれない
今回の旅で、そこからもう一歩進んだ気がする。
それは、「私は、もう少し素直に幸せになってもいい」ということ。
大切な人に会えて嬉しいなら、
その嬉しさをそのまま受け取っていい。
子どもをかわいいと思ったなら、
「今の私にはまだ早い」とすぐに蓋をしなくてもいい。
友達の幸せを見て羨ましいと思ったなら、
「私も欲しかったんだ」と認めてもいい。
一人旅でやってみたいことがあるなら、
恥ずかしくても、できる範囲でやってみればいい。
誰かに愛情をもらったら、
「ありがとう」と受け取っていい。
楽しい時間を過ごしたら、
「こんなことをしている場合じゃない」と自分を責めなくてもいい。
何も起きていないのに、「何か起きるかもしれない」と警戒しなくてもいい。
私はもう、「傷つかないように生きる」だけじゃなく、
「幸せをちゃんと感じながら生きる」ことを選んでもいいんだと思う。
あの頃の私が欲しかったものを、今の私が少しずつ作っていく
子どもの頃の私は、家族に安心していたかった。
守ってほしかった。
大好きと言ってほしかった。
家族で笑っていたかった。
何も心配せず、子どもらしくいたかった。
その時間が戻ってくるわけではない。
過去を変えることもできない。
でも、これからの人生は変えられる。
私は今、自分が欲しかった安心を、少しずつ自分の人生の中に作っている。
好きな人と笑うこと。
大切な人を大切にすること。
安心できる場所で眠ること。
自分の好きなことを楽しむこと。
やりたいことに挑戦すること。
誰かを信じること。
愛情を受け取ること。
そして、自分自身にも愛情を向けること。
今回、兄のお見舞いに行くための旅で心配な気持ちを抱えて向かった旅だったけれど、
帰る頃には、自分の心まで少し軽くなっていた。
きっと私は、過去を乗り越えたから変わったんじゃない。
過去を抱えたままでも、「私はもう、あの頃とは違う場所にいる」
と少しずつ実感できるようになったからだと思う。
もう、ずっと戦っていなくていい。
もう、幸せになるために何かを証明しなくてもいい。
もう、頑張った分だけ幸せになれると思わなくてもいい。
ただ、幸せだと思った瞬間に、「幸せだな」と思っていい。
今回の旅で、そんなことを少しだけ教えてもらった気がする。
20代の私は、生き抜くために全力で走ってきた。
30代の私は、少しずつ歩幅をゆるめながら、
大切な人と笑って、
好きなことを楽しんで、
自分の人生をちゃんと味わいながら、
歩いていきたい。
そしていつか、
「あの頃、あんなに頑張ってくれたおかげで今理想が叶ったんだよ」
と、過去の自分に言ってあげられるように。
私はもう、安心して幸せになっていい。
その言葉を、今度は頭で理解するだけじゃなく、
ちゃんと心で感じられる自分になっていきたい。


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